悲田院は仏教の慈悲の思想による貧窮者や孤児の救済施設として聖徳太子建立の四天王寺に設けられたと伝えられます。聖武天皇の時に光明皇后の発案で平城京に設置されたものが名高く、平安京でも東西に置かれていました。
僧院としての悲田院は、寺伝では鎌倉時代後期の延慶元年(1308)に無人如導(むにんにょどう)によって上京区扇町に再興されました。文明2年(1470)に後花園天皇が崩御された際には応仁の乱で焼けた泉涌寺に代わって御葬儀が行われました。その後の戦乱の世で衰退しましたが、江戸時代前期に高槻城永井直清の支援を受け、如周正専(にょしゅうしょうせん)が泉涌寺山内に移建・再興しました。
今回の展示では、近年の調査で明らかになった平安時代、鎌倉時代の仏像を始め、今に残されている多くの寺宝によって、悲田院の歴史に思いをはせていただければ幸いです。