仏殿
 当初の伽藍は応仁の乱でほとんど焼失し、現在の諸建造物はそれ以降建立のものである。
 大門から参道を下って正面の仏殿は、寛文8年(1668)徳川四代将軍家綱によって再建され、現在伽藍の多くはこの時整備されている。
 仏殿は一重もこし付入母屋造り本瓦葺き、唐様建築の代表作で、国の重要文化財である。
舎利殿
 舎利殿は、釈迦の仏牙舎利を奉安する貴重な霊殿である。慶長年間、京都御所の建物を移築改装したもので、仏殿と同時代に現位置へ移された。開山俊律師が熱願された舎利を、弟子の湛海律師が安貞2年(1228)に宋朝より将来し遷座した。現在同時に将来された韋駄天像・月蓋(がつがい)長者像(共に重文)とともに内陣に奉祀されている。毎年、将来の日とされる10月8日(旧暦9月8日)には舎利会法要が営まれ多くの参拝者でにぎわう。
霊明殿
 現在の霊明殿は、明治15年(1882)10月炎上の後、同17年明治天皇によって再建された尊牌殿で、入母屋造り桧皮葺き、外観は宸殿風の建物である。すべて尾州桧材で造られ、殿内西廂は板間。殿内は内陣・中陣・外陣に分かれ、内陣は五室の宮殿造りである。
御座所
 明治15年(1882)霊明殿炎上とともに、庫裡・書院も焼失した。
 明治天皇は、霊明殿の再建と併行して京都御所内にある皇后宮の御里御殿をお移しになった。この建物は文化15年(1818)に造営されたものである。
 御殿は西に御車寄があり、これに続く一棟は六室に別れ、南側は西から侍従の間、勅使の間、玉座の間、北側は西から女官の間、門跡の間、皇族の間と呼んでいる。
御座所庭園
 御座所の東南から御殿の南側にかけて、小さな御庭が築かれている。霊明殿・御座所・海会堂そして御陵拝所に取囲まれた御庭は、小さいながらも無比の環境の中に自然と人工の巧の業を織りまぜている。低い築山の裾に曲折する池の汀、ひかえめに咲くさつき、真紅の紅葉、薄すらと雪化粧した雪見灯篭に映える梅もどき等々、四季折々に楽しませてくれる。
海会堂
 海会堂は京都御所内の御黒戸を移築したもので、歴代天皇、皇后、皇族方の御念持仏30数体が祀られている。方形土蔵造り塗り込めの御堂で、外面は白壁塗り、床も高く御屋根は宝形造り御厨子入りの御仏体は大小様々であるが、各時代の代表的仏師が心をこめて彫像しただけあって、いずれも素晴らし御像である。
楊貴妃観音堂
 大門を入って左手奥の堂内、六羅漢像の中央に安置される聖観音像(重文)で湛海律師が寛喜2年(1230)月蓋長者像などとともに将来された像である。
 像容の美しさから、玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈って造顕された像との伝承を生み、楊貴妃観音と呼ばれて来た。
泉涌水屋形・浴室・鎮守
 浴槽の東南山裾には寺名の起源となった名泉が、今も尽きることなく涌き出ている。
 下り参道の右側にある切妻式の建物が浴室である。
 北側の森の中に、ひっそりとしずまる小社が当山の鎮守社で、稲荷大明神が祀られている。
月輪陵(後の月輪陵)・開山堂
 霊明殿の東に鎮まる陵墓は月輪陵(つきのわみさぎ)と呼ばれる。四条天皇をはじめ後水尾天皇から仁孝天皇までの25陵、5灰塚、9墓が営まれている。ここに鎮まる方々の御葬儀は泉山長老が御導師をお勤め申しあげ、御陵もすべて仏式の御石塔でお祀りされている。


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